オスプレイ墜落―教養としての「昭和史」集中講義2016年12月15日 23:50

オスプレイが墜落する事故がありました。それに関する大手メディアの報道姿勢が薄気味悪いです。

「オスプレイ墜落」報道で在京キー局が沖縄のテレビ局にも「墜落」を「不時着」に言い換えるよう圧力!|LITERA/リテラ

「制御できずに墜落」 新たな構造欠陥指摘 オスプレイの元主任分析官のリボロ氏 - 琉球新報

言葉を大切に扱わないといけない大手メディアがそれを失ってしまいました。自らの存在価値をどこに見出すというのだろう。
信頼度や評価が下がることは自覚しているだろうから、それに見合うだけの価値がきっと存在するのでしょう。

安保法制、改憲、原発再稼働、TPP、南スーダン派兵、つい最近だとカジノ合法化・・・。歴史の文脈の中で現代日本を見ていく必要がありそうです。


歴史といえば、学習院大学 法学部 政治学科 教授 井上寿一さんの本を買う予定です。井上さんのプロフィールは下のURLを。
井上 寿一 | 教員メッセージ | 学習院大学法学部

欲しい本はこれです。
教養としての「昭和史」集中講義 教科書では語られていない現代への教訓 (SB新書) | 井上 寿一

ウェブサイトに本の紹介文が記されています。一部引用
=== ここから ===
しかし当時は、たいていの国民は日中戦争を支持しているのです。戦地で犠牲者が増え始めているのを知りながらも戦争景気に湧き、その後の真珠湾攻撃さえも、洗脳されたわけでも強制されたわけでもないのに、やはりたいていの国民が快哉を叫びました。いったいなぜなのか? それは同時代人の身になってみないとわかりません。歴史とはそういうものなので、いわばタイムマシンに乗ったつもりでその時代に身を置いてみることが必要なのです。
歴史とはいわば過去のデータベースですから、それを参照していまの文脈に当てはめてみる。そういうふうに考えれば歴史はまったく無味乾燥なものではありません。言い方を変えれば、今日的な関心がなければ、過去にさかのぼる必要はない。つまり歴史を学ぶ意味はないとさえ私自身は思っています。
=== ここまで ===