東日本大震災から12年 ― 2023年03月11日 17:35
【12年前の今日】
2011年(平成23年)3月11日(金)14時46分頃に東日本大震災は発生しました。
特集 東日本大震災 : 防災情報のページ - 内閣府
時間の経過とともに記憶は薄らいでいくもので、不気味な生々しさを纏いながら原発が爆発事故を起こしたことですら遠い過去の出来事のように錯覚してしまうことがあります。しかしそれでもそのとき身体が直に感じた異変については12年で消えることはことはないようです。
地震発生直後、職場の待合室に置いてあるテレビが緊急地震速報を伝えると、それまで穏やかだった空間が緊張感に包まれました。テレビの前に行き報道を確認すると、震源は遠く離れた東北と言っています。なるほど、距離が距離だけあって名古屋では揺れることはまずないか、たとえ揺れたとしても大したことはないとだろうと一安心しておりました。
だけど安心はできませんでした。かすかな動きを感じたと思ったら、それが次第に増幅し、足元が左右にゆっくりと大きく振れはじめてきます。しばらく経過しても収まる気配はなく、経験したことのない揺れが長時間つづいていることを認識すると、さすがにこれはただ事ではないと確信しました。なすすべもなく地面の揺れに身を任せていると、いつしか吐き気とめまいをともなう不快な症状が現れてきました。
金曜だったこともあり、気を紛らわしたかったのか、仕事帰りに鶴舞で地下鉄を降りラディッシュに立ち寄っていました。そこで見たテレビが伝えるヘリコプターからの空撮映像は言葉を失うものでした。避難するクルマを津波は容赦無く襲いまくっていました。
【水曜どうでしょう祭 UNITE 2013】
東日本大震災から2年が経過した2013年、北海道札幌市にある「真駒内セキスイハイム アイスアリーナ&オープンスタジアム」を会場として、9月6日(金)から9月8日(日)までの3日間、『水曜どうでしょう祭 UNITE 2013』が催されました。
この祭りはどうでしょうファンの集いというだけでなく、震災復興を強く後押しする意味合いを持ち合わせたイベントでした。
水曜どうでしょう祭 UNITE 2013
お手伝いの頭数が揃わなかった訳ではなさそうですけど、どういうわけか私のところに御鉢が回ってきてきまして、ラディッシュのスタッフとしてこの祭りに参加しました。
撮影:2013年9月6日(金)、10:07
この写真は初日開店前の一コマです。いま改めて見ると意外と小ぢんまりしています。最終日は2100食以上を提供したけど、よくやったものです。
HTBのウェブサイトにラディッシュの紹介が載っています。
=== ここから ===
カフェレスト ラディッシュ
小倉トーストとドリンクセット 500どう
ドリップコーヒー 300どう
藤村Dのお母さんが営む喫茶店「ラディッシュ」がはるばる名古屋から!どうでしょうファンの裏メニュー、聖地の味が祭会場で味わえる。
=== ここまで ===
会場飲食情報 - 水曜どうでしょう祭 UNITE 2013
撮影:2013年9月7日(土)、12:43
振り返ってみると、こんなに胸躍るイベントは後にも先にもありません。有難いことです。
どうでしょう祭2013について少しだけブログに記しています。
カフェレストラディッシュ ― そろそろ充電完了?
【カフェレスト ラディッシュ閉店】
古い写真が残っていました。2014年(平成26年)2月2日(日)の撮影です。閉店したラディッシュから荷物を搬出するところを収めたものです。
写真に写っているのは全員『どうでしょうバカ』
冷蔵庫といった大物からスプーンなどの小物まで物品の梱包と搬出はすべてラディッシュ客有志で行いました。もとは他人同士だった面々が、ラディッシュを通して顔なじみになっていき、仕舞いにはこうして一緒に作業する仲間となっていました。
一般的にはこういった仕事はお金を払って業者に頼むのでしょうけど、母ちゃんも常連客もそういう発想はなかったようです。
ここにも『どうでしょうバカ』
空いたお腹を満たすのはもちろん、心の満たすためにラディッシュへやって来る人もいたかもしれません。
澄ました顔で作業しているけど、この人も『どうでしょうバカ』
土曜の昼メシ時などの混んだ時間は相席が基本となります。大きな机ではないので近い距離での相席です。はじめの頃は戸惑うことがありましたけど、慣れてくるとどうでしょうファンとの会話が楽しくなってきます。
兄ちゃんには「今日はセルフだから」とよく言われました
撮影時刻12:27
トラックに荷物を積んで新城まで運ぶ準備をしているところです。荷物が多いため2往復します。
当時は新東名高速道路が開通していないので、新城往復はけっこう大変だったはずです。本当にご苦労さま。
新城へ向かう第一便の出発
トラックが出発するだけなのにこの人だかり。
手伝いのため関東からわざわざ駆けつけてくれが方もいます。集まったみんなで引越し仕事をする傍ら、母ちゃん(と料理が得意な人)は昼ごはんの支度に追われます。
小言はいつもの光景
ラディッシュで食べる最後のご馳走
しかし、いったい何人分なんだ?
オリジナルケーキ
こうした写真を見ていると、皆が集える場が要ります。
となると、・・・、新城、ですよねぇ。
椅子と机を残して物品の搬出は完了
全てが終わり、まもなくシャッターを閉める時刻になります。
現在の新城藤村邸
定期的に草刈りをする必要があります。今年はできそうです。
右側に写っているのは井戸です。故障中のため今は水を汲み上げることはできませんが修理すれば復活するそうです。
母ちゃん曰く、「災害などでもし上水道が使えないような事になっても井戸があれば何とかなるでしょ。だから残してあるの」。
悦子農園(仮称)
25メートル四方くらいの面積です。以前ここで枝豆とサツマイモを栽培したことがあります。母ちゃんは「あんたたちで自由に使っていいよ」と言ってくれています。
手入れができず今は荒れてしまったけど、野菜の栽培はぜひ続けていきたいと思います。白洲次郎のファンだし。
白洲次郎 | 旧白洲邸 武相荘 Buaiso
震災から12年になります。