矢口高雄さんがお亡くなりになりました ― 2020年11月26日 21:30
矢口高雄さんがお亡くなりになられたことをニュースで知りました。
「釣りキチ三平」などのヒット作 漫画家・矢口高雄さん死去 秋田 (20/11/25 20:05) - YouTube
まんが美術館館長が語る矢口高雄の魅力、画業50年を横手市増田で。 - YouTube
再アップ:矢口高雄先生直筆! 月刊つり人創刊70周年記念オリジナル色紙制作風景① - YouTube
矢口高雄さんの代表作『釣りキチ三平』はおそらく私の生涯を通してもっとも好きな漫画になると思います。
海から遠いところに住んでいるため小学生のころは釣りをするといっても近所の川でハヤやフナといった小物がもっぱらの相手でした。ですから海の大物釣りに挑戦する三平くんは本当に羨ましく思ったものです。それと、なぜだか分かりませんが、釣りキチ三平といえば魚神さんが乗っていたギャランGTOがやけに印象に残っています。子供ながらにカッコイイと感じていました。このあたりは現在のクルマ好きに繋がるものがあるようです。
釣りとクルマはそれほど関連はないような気がしますが、ラックに集まる人としゃべっていると結構な割合で釣り好きがいることが分かりました。感性として同質なものが響き合っているのでしょう、たぶん。
『釣りキチ三平』は漫画という空想の中で釣りの奥深さを伝えてくれました。そして一方、多くの釣り少年が会員となっていた『ダイワ・ヤング・フィッシング・クラブ(D.Y.F.C)』はリアルワールドでの釣りの楽しみ方を教えてくれる存在となっていました。
D.Y.F.C機関誌の表紙を飾るのはもちろん『釣りキチ三平』です。
D.Y.F.C機関誌1979年秋号の表紙
D.Y.F.C機関誌1979年秋号の裏表紙
私はフィッシングキャップの青色(旧タイプ)を愛用していました。
機関誌には矢口高雄さんはときどき登場します。
矢口高雄さんの言葉をいくつか読み直してみます。
D.Y.F.C機関誌1976年11月号から
これは創刊第2号です。
いま読んでも納得の文章です。
D.Y.F.C機関誌1980年春号から
新春ヤングフィッシングフェアで語られたメッセージです。
少年少女たちの社会的成熟を期待した言葉が発せられます。矢口さんに限らず子供たちをこども扱いしない態度は清々しいものがあります。
D.Y.F.C機関誌1983年春号から
『釣りキチ三平』10年間の連載の終了が決まった頃のインタビューです。
連載された10年間は私の小中高時代ですから、少なくない影響をこの漫画から受けています。
D.Y.F.C機関誌1986年最終号から
正月に豊島園で開催されたD.Y.F.C釣り大会でのメッセージです。
「三平くんの爽やかな笑顔を いつまでも忘れないでほしい。」
本当にその通り!
矢口高雄さんのご冥福を心よりお祈り致します。