どうでもよいことは流行に従い、重大なことは道徳に従い、芸術のことは自分に従う ― 小津安二郎 ― 2017年03月01日 23:25
立川志らくさんのメッセージはツイッターで受け取ることができます。
噺家だからかそうなのか、あるいは立川談志の流れを汲むからなのか、表現が光っています。
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まずは真似から。個性を出そうとしない。抑えてもでてくるのが個性だから。弟子にはそう教えています。
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これだけ状況証拠があるのにと思います。幼稚園にあの洗脳教育。隣国を非難出来ない。談志なら嘘ベーつくな、よく言うよ、と言いますね
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志らくさんは小津安二郎ファンであると語っています。
小津が残した言葉があります。
「どうでもよいことは流行に従い、
重大なことは道徳に従い、
芸術のことは自分に従う」
どういう意味なのでしょう。分かったようで分からないままでした。
内田樹さんと鈴木邦男さんとの掛け合いをとおして最近なんとなく理解できたような気になりました。
鈴木邦男さんのブログから引用。
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しかし、内田さんの分析は違う。
内田さんは、まず、小津安二郎の残した至言を引きます。
「どうでもよいことは流行に従い、重大なことは道徳に従い、芸術のことは自分に従う」。
そして、「鈴木評」に移ります。
〈鈴木さんもたぶん小津安二郎のような重層構造になっているのだと思います。僕とのこの対談でも、「どうでもよいこと」については僕のおしゃべりをにこにこと聞き流し、「重大なこと」については興味深げに質問をします。でも、「ほんとうにたいせつなこと」については僕に同意を求めることすらしない。鈴木さんは自分が確信していることについては他人の承認を必要としていないからです〉
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〈だから、鈴木さんはだれとでも会う人だと思います。どんな本でも読む。教えられて気づいたことがあれば、にっこり笑って「あっ、そうか」と膝を打つ。この開放性と身のこなしの柔軟さは、鈴木さんにとってのぎりぎり削ぎ落として最後に残る「絶対に譲れないところ」が細身の刀身のように鈴木さんの魂に深々と突き刺さっているからだと僕は思います。「そこだけはなにがあっても譲れないところ」をわきまえている人にとって、それ以外のことはすべて些事である。そういうことだと思います〉
これも驚きでした。自分なんて、ただ、いい加減に生きてるだけだと思ってたのに、どこかで、こんなことを考えていたのでしょうか。
ただただ驚きです。内田さんの眼力には恐れ入ります。
あるいは、「武道の先生」だからでしょうか。頭や口先だけでなく、身体の全体を見て分かるのでしょうか。いくら隠そうとしても、分かるのかもしれません。
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鈴木邦男をぶっとばせ! 『慨世の遠吠え2』が出来た!
内田樹さんはどんな事柄に興味をお持ちでしょう。
内田樹さんのブログから引用。
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ル・モンドの記事から(森友学園問題)
2月27日のLe Monde が森友学園と安倍総理の関係について報じた。
どのような形容詞が用いられているか、注意して読んで欲しい。
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ル・モンドの記事から(森友学園問題) (内田樹の研究室)
森友学園と安倍総理の話題が取り上げられています。
な〜んだ、志らくと同じじゃん。(オイオイ)