たまには哲学 ー 「役に立つ」って何?2024年07月02日 06:20

いまの職場は少々遠いところにあり電車通勤しています。バイクやクルマで通勤できれば趣味両立になるのですけど、渋滞遅刻の心配があるため電車で通うことにしています。
そこそこの時間のかかる車中では外をボーと眺めてしていたり座ることができたら寝ていたり、そうでなければ本を読んだり音楽やPodcastを聴いています。

哲学の話です。
Podcastは面白そうなものが取り敢えずダウンロードして、それを順番に聴いています。
TBSラジオ『荻上チキ・ Session』は個性ある番組の一つです。
娯楽的要素を含ませながら哲学を語る「哲学対話」のようなコーナーは他のラジオでは存じ上げません。(あったりして)
「永井玲衣さんと哲学対話」は、6月25日(火)の放送は『「役に立つ」って何?』がテーマでした。
下のリンクがそうです。
荻上チキ・Session~発信型ニュース・プロジェクト: 永井玲衣さんと哲学対話『「役に立つ」って何?』 on Apple Podcasts

役に立つという言葉は、道具などの有用性を評価する場面にはしっくりくる単語ですが、人物の評価として使うには適さない、それこそ役に立たない言葉だと思います。少なくとも、医療の現場に安易に持ち込むことは慎むべきもの、と考えます。
医師の木村知さんは、“「誰かの役に立っているか」は関係ない”と語っています。


人と接するとき、役に立つかどうか査定するような心の持ちようになっていると、得てして上から目線になりがちです。批判的になり攻撃的になってだんだんと不寛容になっていきます。意地悪になってしまうこともあるかもしれません。
だから止めろと言うのではありません。止められる属性のものではないですから。
しかし、そういうものって最終場面が近づいてくるにつれ、回り回ってその累積が自分の元に返ってきて、気づくと周りから「役立たず」としてぞんざいに扱われてしまうという、なんとも面白味のないエンディングが待っているような気がします。因果応報という言葉はこんな状況から生まれたのでしょうか。

たまには哲学。