新しい年の始まり2019年01月01日 07:15

新しい年の始まり

平成31年元旦

晴天の元日に見事な初日の出を拝むことができると清々しい気持ちになります。年の初めだからでしょうか、新たな気持ちで迎える1月1日の初日の出には他にはない緊張感があります。


普段の生活では日の出時刻に起きていることはほとんどありません。それでもスキーに行ったり朝市へ魚を買いに行くときは暗いうちからクルマを走らせるので年に何回かは日の出を経験します。
不思議なことに日の出に気分の高揚を感じることがあります。おそらくそれは太陽の眩しさそのものに対するものではなく、真っ暗だった風景が時間とともに段々と彩られていくその移ろいに何か感じるものがあるからかもしれません。

飛行機から眺める日の出は格別です。機械物が好きな私の場合、夜通し回りつづけるジェットエンジンが、雲から昇る朝日に照らされ輝き始めるその瞬間にとりわけ美しさを感じます。

ボーイング 777-200ER型機からの機窓



日頃からいろいろ思考を巡らすのが習慣になっています。別にかしこまったものではなく、何か面白いものはないかなぁとお気楽に楽しむ程度ですけど。
たとえばツバメ。
海を渡って外国へ行くのは飛行機を利用すれば難しくありません。ところが渡り鳥のツバメは、春になると自力で海の上を飛んできて夏が終わると暖かい場所へ飛び立っていきます。彼らはいったいどんな風に海を渡っているのだろう、あんな小さな鳥なのにどうしてそんなことが出来るのだろう、腹はへらないのか、などと意識してみるとツバメのことを調べたり観察したくなってきます。
そんな具合にちょっと視線を変えてみると、今までとは見え方が違ってくるし退屈しません。

「どんぐりの里いなぶ」にやってきたツバメ



思考を巡らすことの対局になるのは思考停止でしょうか。
平成30年はあおり運転にまつわるニュースが世間を賑わせました。
あれなどはドライバーの思考停止が背景にあると思っています。相手のことを考えない短絡的なご都合思考が見え隠れするからです。

『賓主歴然』、『賓主互換』という考え方が茶の湯にあります。
難しい概念ですけど、私の解釈はこうです。

賓主歴然とはお互いの立場をしっかり認識すること、表現を変えれば、客人は客人であり亭主は亭主でありそれぞれの領域と役割が歴然として存在する、という考え方です。
賓主互換とは客人と亭主とが互いの領域と立場をそれぞれ交換することです。
客人は亭主の気持ちが分からなければ客人としての相応しい立ち居振る舞いはできないし、亭主は客人の気持ちに思いを巡らすことができなければ心からのもてなしを完成させることはできないという考え方です。正しいのかな?

客だから横柄な態度が赦される、権限を与えられているから命令口調が正当化される、自分の意見は主張するが異なる意見には耳を貸さない。
昭和の価値観が通用していた右肩上がりの成長経済時代にはこういった愚行が許容されたかもしれません。しかし今はそんな余力はないと思います。にもかかわらず歪んだ自己主張をする人は減っていません。むしろ増えています。これらが導いたものは、世知辛いギスギスした居心地の悪い雰囲気です。
変えなければなりません。
これらを断ち切るには互いが互いを思いやることが最善と考えます。
思考停止の立ち居振る舞いはそろそろ消費期限を迎えることでしょう。


今年のテーマは『和敬清寂』
バイクやクルマに乗るときはとくに、ね!

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。


Toyota 86 Racing